mini Mischief♭

趣味=思考遊び

自己評価と、私のトラウマと、

甲斐由美子氏 FBより 2016.05.26
 
自己評価が高いと挫折を乗り切っていける?
自己評価は、高い 低い と分けることができますが、安定しているか 不安定なのかにも分けることができます。

  • 自己評価が高く安定
自己評価が高く安定していると、まわりの状況や出来事によってその自己評価の高さが変わることはほとんどありませんね。このタイプの人は自分のイメージを高めたり守ったりするのに、無駄な時間やエネルギーを使う必要がないのです。
自分の専門分野の活動についてほかの人々に説明し、作業を効率的に進めるためにはどうすればよいか意見を堂々と述べ、仮に反対意見があったとしても、注意深く話を聞いて、穏やかに説得しようとすることが多いですね。こういうタイプの人は、決して相手を攻撃して、やりこめるようなことはないはずです。 自己評価が高く、安定しているので、傷つきにくいのです。
 
  • 自己評価が高く不安定
このタイプの人々の自己評価は高いけれども傷つきやすいようです。
日常生活の中でも、人と競争をしたり、不利な状況に置かれたりすると、その自己評価は著しく下がってしまいます。このタイプの人々は<失敗>や<批判>に激しく反応し、少しでも失敗したり、人から批判を受けたりすると、自分が全面的に否定されたような気持ちになります。
また、自分に対してどこかしら不安を感じているので、自分の優れた点や過去の成功について、いつでも誰かに言っていないと気持ちが落ち着かないようです。 自分の言ったことに反対されると、それまで自信たっぷりだったのが嘘のように落ち着かなくなり突然怒りをあらわにして相手を攻撃しはじめることが多いですね。徹底的にやり込めてしまうこともあるようです。
自己評価は高いのですが、不安定なので、傷つきやすいのですね。

このように、一口に自己評価が高いとしても、傷つきやすいこともありますよね。人と比べられると凹んでしまう方も多いと思います。うまくいっているときには、この差がわかりにくいのですが、困難なことが起こったときに差が出てきます。いつもは自信満々なんだけど、何かあると凹んでしまう。比べられることによるストレスが大きいんですね。自信があるだけに自分の思い通りにならないと、イライラして人にあたったりしてしまうことも多いようです。

この違いが出てくるのは親の養育態度が大きく関係しているようです。親の期待が大きすぎる場合や、能力で評価しがちな場合、不安定になってしまうことが多いようなので、チェックしておきたいところですね。親に構って欲しいと思っている場合にも、自分を大きく立派にみせようとしますので、不安定な状態になりやすいのです。中高生が私によく言ってくることのひとつに、「私をちゃんと見て欲しい」「人の目が気になる」という言葉があります。 そのようなお子さんは、このタイプに入るでしょう。
 
そんなお子さんヘの接し方としては、失敗を責めないこと、叱責するよりも褒めることにポイントを持っていて上げてみてはいかがでしょう。プラスのストロークをいっぱい 投げかけてあげて下さいね!

自己評価の高い方について、特徴を述べてみました。こうして書いていても、思いますが、人はそれぞれなので、厳密に気になさらなくていいと思います。ラベリングすることは危険が伴いますので、参考までにお読みくださいね。

  • 自己評価が低く安定
このタイプの自己評価はまわりの出来事によって左右されることはあまりありません。いつでも低く安定し、何かいいことがあってもあまり高まることがないのです。「どうせそうでしょう」と諦めているので、人に批判されることを極端には恐れていないのです。
しかし、感情は大きくゆさぶれてしまうことが多いようです。自己評価を高めようという努力をしないで現状を受け入れ、今の低いレベルを受け入れているからなんですね。いわゆる冷めていると思われることもあるかもしれませんね。「どうせ 失敗するんだ」「どうせ、反対されるんだ」と、諦めているように思えることも多いですね。自分の意見を積極的に述べることはありません。誰かにどうしてもと言われて、問い詰められると困ってしまうことが多いようですね。
 
  • 自己評価が低く不安定
まわりの出来事に影響されやすいようです。たとえば、何かに成功したり、嬉しいことがあったりすると、普段より自己評価が高くなります。しかし、その状態はいつまでも続かず、少しでもうまくいかないことがあると、またすぐに元に戻ってしまうのですね。気分の浮き沈みが激しいと思います。
一般にこのタイプの人々は自分でも自信を持ちたいと思っているし、ほかの人にもいいところを見せたいと思っています。しかし、普段はあまり自信を持つことができないので、なかなか積極的になれないのですね。自分のことは控えめに話し、それ以外のことでもあまり発言しないタイプです。自分の意見を言う場合でも、まわりの反応をうかがいながら、慎重に発言します。誰かから反対意見があがると、たちまち動揺し、反論もあまりしない傾向があります。その反対に人から受け入れられたと感じると、安心して積極的に自分の意見を述べることができるようです。

自己評価が低くて安定している人は、自分をよく見せようとしないタイプが多く、自分から現状を変えようとはしません。自己評価が低く不安定な人は、もっと現状よりもよく見せたい、人から認められたいという気持ちが多いので、現状をなんとかしようと努力します。

では、どうして自己評価が低くなってしまったかについて考えてみると、自己評価が高い場合と同様に親の養育態度が大きく関係しています。親が過干渉であったり、過保護であることも一因であるとされています。お子さんの自主性を認めていない場合に自己評価は低くなることが多いようです。
成長過程で片親が亡くなったり、無気力になるような出来事が起きた場合など、学校での出来事も関係してくることもあります。また、反対に親からの愛情が不足している場合にも自己評価は著しく低く安定することも多いようです。


いかがですか?自己評価が高くても、低くても、なんとかしようという気持ちがあることに気がつかれたでしょうか。一概に自己評価が高いから挫折を乗り切っていけるということでもないようですね。一口に自己評価といっても、何に対する自己評価なのか。同じ人でも、簡単に分けることもできないのではないでしょうか。

自己肯定感が高いと挫折を乗り切ることができると言いますが本当でしょうか?|お子様の不登校、ひきこもりの解決策提案サロン
でお話させていただきましたが、自己肯定感には、愛情に対するものと、能力に対するものがあります。その見極めも大切ですね。自己評価が高くなる場合も、低くなる場合も親の養育態度が大きく関係はしていますが、傷つきやすいか傷つきにくいかの差はありますが、挫折を乗り切っていけるかどうかは、あまり関係がないということにもなると思います。
 
人間は生きている以上、何らかの傷を負いながら生きているのですね。そのことに気がついた今、出来ることを考えていきましょう。

親の育て方が悪かったから…などと悩んでいる時間はもったいないと思いませんか?挫折は、自己肯定感が高くても低くても乗り越えることはできるのです。決してあきらめないでくださいね。
 
分かるなぁ…
私は自己評価が低い、不安定型らしい。
親に感謝はしているけれど好きではない。
好きだけど、好きにはなれなかったと言うべきか。
いろいろと思い出した…
 
私は中間子で、物心ついた頃から「一人で何でもできるようになりなさい」が母親の方針だった。「貴方のことはお母さんが一番よく分かってるから」「貴方のために言ってるのよ」「養ってあげてるんだから」という台詞を何度となく聞いた。父親は仕事で家にいなかった。
 
小中学生の頃は、自分で言うのもなんだが、とても成績が良かった。児童会や生徒会もやっていたし、リーダー役を任されることが多かった。絵を描けば賞を取り、作文を書けばコンクールで入選し…。そこに自分の存在価値を見出していたのだ。
 
成績が良くても家で褒められることはなく、できて当たり前。家庭学習などしたことがなかったから、母親は私の持って生まれた能力のおかげなのだと過信していたと思う。私がどれだけ集中して授業を聞いていたかも知らずに。今思えば、褒められたかったのだ。他でもない母親に。褒められることはなかったのだけど。
 
学区内の高校はどこにでも入れる成績だった。しかしながら、自分の希望した高校には入れなかった。母親が反対したからだ。
 
私の志望する美術科のある高校は、偏差値の低い学校だった。親子で揉めに揉め、担任も相当大変だったと思う。志望高校の校長先生とも面談の機会を設けてくれ、「あなたが入学するなら大学受験を見据えたクラスを作ります」とまで言ってくださった。けれど、母親はハナから容認する気などない。世間体と、自分が育てた子どもに対するプライドが、それを許さなかったからだ。
 
「いい高校に入り、大学へ進学し、いい会社に就職することが貴方の一番の幸せなのよ。子どもにはまだ分からないだけなの。」
 
終いには、父親(女の子なんだからいいじゃないかという考え)とそのことで揉め、「お母さんたち離婚するかもしれない」と涙ながらに訴えてきた。脅しだ。
 
15歳の私は、まだ幼い妹がいることを考え、長い時間をかけて、志望校を諦めざるを得なかった。
悲しいというよりは、空虚感。
養ってもらっているという枷。
せめてもの抵抗で、上から2番目の高校へ行くことにした。家から遠かったからだ。
 
そんな状況で高校へ入学したものだから、最初は高校生活に期待などしていなかった。何でもよかった。どうでもよかった。その時点で、家は安心して居られる場所ではなくなっていた。一歩時代と地域が違えば、私は間違いなく家出援交少女になっていただろう。
 
しかし、そこで出会った友人たちや、先輩後輩、先生方と体感した毎日は、驚くほどに輝いていた。時間に縛られる電車通学も、本当に楽しかった。家から遠く、同じ中学出身者が少なかったこともあり、私は新しい自分を始めることができていたのだ。周りの人々から学ぶことが非常に多く、今でもこの学校を卒業したことに誇りを持っている。
 
ただ、授業を真面目に聞かなくなったばかりに、成績は面白いほどに下降した。一年生では掲示される成績上位者の常連だったのに、三年生では第一種奨学金をもらうためにはギリギリの成績になっていたのだ。母親が過信していた私の持って生まれた能力など、初めからなかった、いや、能力全般ではなく、「学校の勉強をする能力」は、おそらく著しくポテンシャルが低いのだと思う。
 
そして高校の進路相談時期に、また同じことが起きる。母親の反対だ。私は、製菓製パンの専門学校を志望した。3年前の繰り返し。ここで違ったのは、私が「諦める」ということを知っていたことだ。「どうせ自分の行きたいところには行けない」そのことを、身をもって理解していた。
 
何でもいいから入れる大学に行けばいいや。
でも興味のある分野がいいな。
家政学に興味があるな。→反対される
文系は就職の足しにならないって?
じゃあ農学でいいんじゃない?
あ、いいの。
じゃあ、入れそうなここでいいや。
 
私の大学選びは、これだけで決まった。実にくだらない。くだらない。何の意志もなく、何の希望もない進学だった。だから、大学にもほとんど行かなかった。単位だけ取得すると、バイトに精を出した。大学に友人と呼べる人は一人しかできなかった。学外には数人できた。不思議なものだ。学外の友人が生涯の友になったのだから。
 
今思えば、農分野で学びたいことは沢山ある。勿体無いことをしたと、心から思う。でもあの頃は、嫌だったのだ。人間が信じられなかったし、自分を受け入れることもできなかった。バイト仲間と楽しく過ごし、器用に仕事をこなすことで自分の存在価値を見出していた。
 
大学時代には心理学の本を読み漁った。母親から自分の気持ちを否定され続けて育った。人が何を考え、その思考がどのように心の外へ反映されるのか。人間の本質とは何か…。
 
空虚感を埋めたかったのだと思う。他人を知ることで自分を知ろうとした。母親が子どもの価値観を否定するという行為は、子どもの深層心理に根深い影響を及ぼす。逃れたくても逃れられない。
 
苦しかった。
 
そんな私にとって、就職活動は格好の遊び場だった。多くの企業を見ることができ、大人の反応を伺うことができる。本音と建前が交錯する。自分の一挙手一投足で相手がどのように自分を捉え、どのような反応を示すのかが、面白くて仕方がなかった。
 
そして一部上場企業へ就職する。
さあどうだ。
母親が望んだ通りになった。
さあ、私はどうなんだ。
 
結果を言えば、3年経たずに辞めてしまった。仕事は面白かったが、違うと思ったからだ。パン教室に通い、ライセンスを取得してパンの先生になった。3D-CADを学び、製図の仕事に就いた時期もある。全ては、10代の時期に成し得なかったことを模倣してのことだ。
 
20代後半には結婚もした。一般以上に年収のある人間だった。首都圏でカフェのような家も建てた。自宅でパン教室を開業していた時期もある。…私は独りだった。夫は母親と同じように私の感情を否定した。私はおかしいのだと。詰っては物を与えるの繰り返しだった。自死願望に襲われ、精神科に通い、薬を飲んだ。
常に問い続けた。
私は幸せか?
これが母親のいう幸せだろうか?
 
私は今、再婚し、可愛い息子に恵まれ、最高に幸せだ。専業主婦は天職だと思っている。興味のあった家政学は、独学で学んで実践している。絵を描いたり工作をしたり、育児をする上では事欠かない。お菓子を作れば夫も子どもも大喜びだ。
 
家政学や食養を学ぶと、お金が掛からない。知識と技術を身に付ければ、外注する必要がないからだ。満遍なく全て人並みにできる、という私の能力は、主婦業にはもってこいだ。毎日の生活がとても楽しい。
 
今になって母親が言った。
「あの時、専門学校に行かせれば、せめて花嫁修業ぐらいにはなったのかもしれないと思ってね」
大学まで出してやったのに、事もあろうに専業主婦をして、なぜか幸せそうにしている娘。何か思うところがあったのだろう。
「行かなくても自分でできるけどね」
私は言った。
 
地位や、名声や、お金を沢山持つことや、世間の価値観に合わせることは、私の幸せではなかった。
 
通ってきた道だから、気付くことができたのかもしれない。我が家は貧乏だが、私は満たされている。むしろ、何もない方が落ち着く。ミニマリストを目指しているぐらいだ。35を過ぎた頃、初めて母親の価値観の呪縛から解き放たれたと感じた。私は、私でいいのだと。
 
 
振り返ってみると、私は物を作り出すことに価値を感じている人間なのだと分かる。美術科を志望したのは工業デザインに興味があったからだし、製菓製パンなどは正しくこの手で作り上げるものだ。大企業でこんな仕事してます!という人によりも、木工作家や、絵描きや、大工、パン屋などの職人に尊敬の眼差しを向ける。
 
いつか…
息子が大きくなり進路に迷うことがあったら、私の話をしようと思う。自分で道を選んだほうが後悔しないということ。失敗しても終わりじゃないということ。世間体は所詮世間体でしかないこと。自分の直感を信じること。私は貴方の一番の味方でありたいということ。
 
子どもは近道が知りたいわけではない。
 
親の役目はきっと、子どもを信じることだけだ。