mini Mischief♭

趣味=思考遊び

日本人は母息子の依存関係を断ち切れるか

韓国人女性が「徴兵制は、私は良いと思います。息子が今年帰ってきましたが、それまでは学校へ遅刻したり生活態度もだらしなかったのが、今では時間の管理もでき自立したと感じます。同じ息子ですが、精神的に大人になって帰ってきたように思います。」と言うのを聞いて、思わず徴兵制に賛成しそうになった。

男児の母として思う。
なぜ日本人男性はこうも駄目男ばかりに育つのか。

まず主体性がない。役割を与えれば演じられるが「自分」はないので素が空っぽ。「仕事モード」「父親モード」はあるが「夫モード」はない。夫モードは自己主張と主体性を必要とするからだ。

人間はいくつもの仮面を使い分けて生きている。女が仮面を同化して成長する=「自分」を強化するのに対し、男は仮面を脱がないと疲れると曰って依存モードに返る。つまりは成長もせず「自分」はずっと子どものままなのである。

「少年の心を持った大人」では決してない。「心が少年のまま身体はおっさん」と言ったほうが現実を捉えている。

男児の自立を促すには、女への精神的依存を一旦切り離さなければならないのかもしれない。そのために韓国では徴兵制が一役買っている、ということなのだろう。日本では母への依存がそのまま妻への依存に成り代わるだけだ。

日本の年配の夫婦を見て思う。80%はお婆ちゃんがお爺ちゃんの姿をした子どもを引き連れているかのようだ。旅先では本当にそのことが目に付く。何も決断できない、自ら調べようとしない、行動を起こさないのに自分のしたいことは主張するお爺ちゃんを、お婆ちゃんが英語もできないなりになんとか矢面に立って頑張っている。

こんなお爺ちゃんも、日本ではかつて企業戦士として働いていたのだ。言われたことをきちんとやれることが日本の社会性で、そうやって何十年も過ごした結果、仕事がなくなるとただの無能な残りカスになってしまう。

私は息子をそんな人間に育てたくはない。


徴兵制が良しとは言わない。有事が起きないとは限らない時代だからだ。しかしながら、なんとか息子を自立した大人の男に育てる方法がないかと考える。

一人旅を楽しんでいる年配者は、その多くが女性だ。「旅先で相席になった人たちとお友達になったり、コミュニケーションをとったりするから楽しいのよ」と嬉しそうに語っていた。素敵だと思った。そして、そういう年配女性がちらほらと散見された。

熟年離婚が女性の我儘だという意見も耳にするが、パートナーとして結婚した夫が養子に成り下がったのに、どうして一生面倒を見続けなければならないのか。夫が夫として機能しなければ、ただの養子縁組だ。働く長男。労働力として迎えられた赤毛のアン然り、働く長男に対価として生き方を指南しているかのようだ。

世界の男性を見渡せば、これは「男性だから」の話ではないことがわかる。日本の文化に問題があるということだ。


旅を終えると視点が変わる。
私はいつか子離れの時期を迎えなければならない。幼児である息子が、土台を感じながらも自ら考え歩めるように。私も「母」という甘い立場を捨てなければならない。